■国内では流通の珍しい、Napalm Deathのワッペンを入荷致しました!1981年結成。UKグラインドコアの始祖。Napalm Death (ナパーム・デス)のオフィシャルマーチャンダイズです。Earache Records(イヤーエイク)リリース商品となります。
商品詳細 |
カラー |
ブラック |
サイズ |
6.7×9.8cm |
素材 |
Polyester |
原産国 |
UK |
【Band Biography】
1981年、イギリスのバーミンガムで結成された。ニック・バレンがボーカルとして、ディスチャージ(DISCHARGE)、カオスUK(CHAOS U.K.)等の、ハードコアで政治的主張を行うパンク・ロックに影響されて結成。結成年に「Punk Is a Rotting Corpse」(デモテープ)を発表。音楽性としてはハードコアとアナーコ・パンク(英語版)の中間で、上述のバンドと比べ際立ったところのない、平凡な音であった。しかしクラス(CRASS)とライブで数回共に活動したことがきっかけで、後に発表されたクラス自身のレーベルオムニバスに参加することになった(「Bullshit Detector Volume 3 」1984年)。現在も使用されている「NAPALM DEATH」の標章は、この時点ですでにできあがっていた。 音楽性の転機は、イギリス・イプスウィッチのクラスト・コア(CRUST CORE)の始祖であるエクストリーム・ノイズ・テラー(EXTREME NOISE TERROR。当時はまだ「TERROR」は付いていない)でドラムであったミック・ハリスが加入したことが大きい。この時点で、結成時からのメンバーはすでにニックのみになっており、彼がボーカルとベースを兼任した。 1985年に、「Hatred Surge」(デモテープ)を発表。これまでの5本のデモと異なり、激しい音楽性に変化する。翌年には7作目となる後のセカンドアルバムと同じ表題である「From Enslavement to Obliteration」(デモテープ)を発表し、1stアルバムと同じ題で、フルアルバム並みの曲数の「Scum」(デモテープ)の2本を発表した。イギリス・ノッティンガムで最速だったプラズミッド(PLASMID)が解散し、さらに速度感が増したヘレシー(HERESY)のベース、カルブ(KALVIN PIPPER)が、まだイヤーエイク・レコードを作ったばかりの保有者であったディグ(DIGBY PERSON)にテープを渡したことがきっかけで、後のファースト・アルバム『SCUM』(アナログ LP)発売に繋がることになった。1987年、これまで立て続けに出した「テープ」ではなく、アナログでかつ単独、そしてアルバムという形態で『SCUM』が発表された。このアルバムの音(や曲数)が与えた様々な分野への影響度は大きかった。ここからナパーム・デスの第2期が始まったと言える。ただA面・B面で、ドラムのミック以外が違うという特殊な形態になった。A面には、85年、86年の2本のデモテープの面子で収録。原構成員のニック、3本のデモテープに参加したジャスティンが音楽性の不一致により脱退(脱退後、ゴッドフレッシュ(GODFLESH)を結成)、B面は、ミック・ハリスが独自のブラスト・ビートを編出し、曲が加速。リー・ドリアンや、カーカス(CARCASS)のビル・スティアーが加入して録音された。メンバーそれぞれの嗜好性が様々で、リーやこの後正式に加わるシェーン・エンバリーが当時好んで聞いていた早く極端な音楽に大きく影響され、また日本のS.O.BやGAUZE等にも触発されて、重く、早く極端に演奏時間の短い楽曲、歌詞が全く聞き取れない歌唱法のグラインド・コアと呼ばれる音楽性へ変化した。ジェームスの後任にシェーン・エンバリーが加入。1988年のセカンドアルバム『From Enslavement to Obliteration』(アナログ LP)でその音楽は完成された。S.O.Bとのツアーで、1989年に初来日。ラインナップはリー・ドリアン(Vo)、ビル・スティアー(G)、シェーン・エンバリー(B)、ミック・ハリス(Ds)の4人だった。1989年にリー・ドリアン(Vo)が抜け、唯一の結成初期からの在籍メンバーで中心人物だったミック・ハリス(Ds)が1991年に脱退すると、彼らの音楽性は徐々に変化し、デスメタル的な要素を取り込み独自の音を形成していった。また、彼らの歌詞の内容はハードコア・パンク出身というのもあり、首尾一貫して社会を批判する傾向が強く出た政治的なものが多い。2009年「LOUD PARK」、2012年や2019年の「EXTREME THE DOJO」など、日本のロックイベント出演にて度々来日している。